京都・大阪・大阪・奈良 その3

ホテルの部屋はすごくおしゃれでよかったんですが、疲れ果てて写真を撮る間もなく荷物を広げてしまいました。
どうも東京本社のYです。

客室フロアはフルリノベーションされているので、百貨店感を味わうことはできないのですが、ロビーには百貨店当時の一部が保存されていました。
今回行くことはできませんでしたが、資料館などもあるそうです。

合宿二日目は、上町大地を歩きます。
上町大地は、住吉大社のあたりから大阪城あたりまで伸びる細長い台地の事を言いますが、縄文時代から古代にかけてはこの上町大地が半島のようになっており、西に大阪湾、東に河内湾が広がり大阪城の北でつながっていました。

淀川や大和川は河内湾にそそいでいましたが、水位の変動や河川により運ばれた土砂により地形を変え、河川の付替えや埋め立てを経て現在のように平野が広がるようになりました。

この上町大地は縄文時代以前からずっと陸地ですので、それだけ歴史が深いという事なんですね。

最初に訪れたのは安居神社。
西鳥居から入ると、まず長い階段が。台地の上にあることが分かりますね。
ここは真田幸村終焉の地として有名な神社です。

続いて、一心寺へ。
山門がもはや現代アートなんですが、お寺さんです。
こちらも古くからあるお寺ですが、地元の信仰が厚く驚くほど人がたくさんいましたね。

続いて四天王寺。聖徳太子が建立した日本で最も古いお寺ですね。
物部氏VS蘇我氏の合戦で、蘇我氏側についていた聖徳太子は、苦しい戦況を打開するために四天王像を彫り、「この戦いに勝ったら四天王像を安置する寺院を立てて民を救済する」と請願し、見事勝利を勝ち得たのだそう。
そして約束の通りたてられたのがこの四天王寺です。

四天王寺建立のきっかけになった戦いで敗れ滅亡した物部氏ですが、境内の東側、太子殿の奥には物部氏を祀るお社がひっそりとたたずんでいました。

続いて生國魂神社に行く予定でしたがスキップしまして、地下鉄松屋町駅近くのからぼり通商店街へ。
映画「プリンセス・トヨトミ」の舞台にもなったところですね。
ここは大阪城南惣構堀(空堀)のあった場所とされています。
大坂冬の陣の後、徳川陣営によって破壊されてしまいますが、遺構が残っているとかいないとか。

実際、この辺りを歩いてみると、高低差のある場所を見つけました。

歴史ロマンですねぇ~。

丁度いい時間なので、空堀商店街でランチタイムです。
スパイスカレーの美味しい店があると聞いて言ってみると行列が。
東京にもあるカレー店「旧ヤム邸」の本店でした。
カレーめちゃ旨。

お腹を満たした後は、空堀通りを東へ東へ。
とある高校のグラウンドの脇にあるのは真田丸跡地の碑。

当時の大阪城は、西は堀、北は川、東は湿地と攻めにくい土地でしたが、唯一、南側だけが陸続きとなっていました。
内堀、外堀(前述の空堀)を設け、さらに出丸を配備しました。
それが真田丸ですね。

真田丸のすぐ東には真田山があって、そこに三光神社があります。
ここには、真田の抜道というものがあり、大阪城まで続いているとか・・・。
現在は、中が崩れてしまっていて、何処に繋がっているのかは不明です。

三光神社を後にして、今度は北へ。
大阪城のすぐ南に難波宮跡があります。
前日の堺で見た古墳に眠る(?)仁徳天皇の頃の皇居であり、その後、他へ都が移されますが、大化の改新があった645年から150年間、再びこの難波宮が都になります。

今は大きな公園になっており、建物や回廊の跡が分かる敷石や柱などで整備されています。
公園の北側、大極殿正殿跡、大極殿後殿跡にはそれぞれ舞台のような建物の土台が復元されています。

最後に秀吉時代の大阪城の遺構を観ようとしましたが
現在、その遺構を見学できる施設を建設中の為、見ることが出来ませんでした。

ので、豊臣秀頼と淀殿の自刃の地を訪れて、今回の全行程を終了しました。
上町台地、ずっと陸地なだけあってなかなかのボリュームでしたね~。

参加者の皆さんを見送って、後泊組はなんばへ戻り、打ち上げ。

飛び込みで入ったお店でしたが大当たり。
素敵なお部屋で美味しいものを頂きました。

そして奈良へ移動。
ホテルにチェックインした後、猿沢ノ池を眺めつつちょい飲みできる店を探してぶらぶら。

私は小腹が減ったので、食べてみたかった「かすうどん(ハーフ)」を食べて
三日目終了です。

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