京都・大阪・大阪・奈良 その2

いよいよ合宿本番!
なのですが、前泊だけで燃え尽きかけております。
どうも東京本社のYです。

ちなみに、昨日だけで2万歩あるいてます。

合宿一日目は堺を歩きます。
南海高野線の堺東駅で集合。

堺の第一印象は「街がきれい」。

駅もきれいだし、道路も歩道もきれいで歩きやすかったですね。
地方に行くと、道路の劣化がひどい所も多いんですが、堺はきれい。
お金持ちなんですかね。

まずは堺市役所の展望台へ。
ここから仁徳天皇陵を眺めます・・・が、なんだかわからないですね。
やっぱりヘリコプターじゃないと古墳の形を確認するのは難しそうです。

展望台から西の方を見ると、明石海峡大橋が見えました。
謎の塔とかも見えましたが、あれは何だったのだろう。

展望台を降りてさっそく街を歩きます。
今回は江戸中期1735年に作られた『堺大絵図改正綱目』を見ながら。
この絵図には、現在の阪神高速15号線と南海本線に挟まれた地域が描かれているのですが
現代地図と見比べてみると、当時の道がほとんどそのまま残されていることが分かります。

寺社仏閣などもほとんど位置を変えずに残されているので散策も迷うことなく進みます。

堺は千利休が生まれた地でもあります。屋敷跡が保存されています。
他にも与謝野晶子も堺の生れだそうです。

堺の街のど真ん中を東西に貫く「大小路筋」という通りがあります。
通りを挟んで北は摂津国、南は和泉国でした。この大小路筋が国境だったわけです。

また、この少し東、仁徳天皇陵の東側に「三国ヶ丘」という駅があります。
三国ヶ丘は北西が摂津、南西が和泉、東が河内と、三国の国境でした。

国境があるの町だから堺なんですね。

お分かりになるでしょうか。控えめに刻まれた「ザビエル公園」の文字。
ここは1500年代に堺を訪れたフランシスコ・ザビエルを手厚くもてなした豪商の屋敷跡だそうです。

堺と言えば、鉄砲鍛冶の街としても有名ですね。
江戸時代の鉄砲鍛冶屋敷が残されており、博物館として一般公開されています。

堺はもともと鋳物が盛んな土地であったという事で、鍛冶技術の下地があったところに鉄砲の製法を持ち帰ったことで、鉄砲の生産が始まりました。
その後、織田信長が堺を支配したことから、さらに技術・生産が進んだそうです。
最終的に幕末まで鉄砲鍛冶が続いたそうですよ。

鉄砲鍛冶屋敷で普段はいない館長さんが「たまたま」いたところに大勢で入っていったものだから、大興奮で説明してくれたのは良いんですが、後の予定に響くほどの大ボリュームでバタバタと屋敷を後に。

この日の行程は終了なのでひとまずホテルに移動してチェックインします。
が、予約担当が移動途中ではぐれるなどして、てんやわんや。

この日の宿はこちら。大阪なんばにあります高島屋東別館(重文)。
現在は、ホテルにリノベーションされていて宿泊することが出来ます。
他の高島屋と比べるとアール・デコが印象的です。
国の重要文化財に宿泊できるって凄い・・・。

と浸る間もなく、夕食の店の時刻が刻々と迫っているので急いで移動。

本日の夕食は法善寺がある法善寺横丁の串カツです。
大阪っぽい!

ここで、私は一つの文化がなくなりつつあることを知りました。
串カツと言えば「二度付け禁止」じゃないですか。
でも今は、二度付けどころか、あのソースがなみなみ入った容器がないんですよ。

コロナ過以降、ソースはドレッシングボトルに変わり、
チューッとかけて食べるようになってたんです。

衛生的と言えばそうですが、なんだか物悲しいですね。

夕食の後は、何故だか恐ろしいほど人でごった返す道頓堀・戎橋付近を散歩し

二次会組と別れて、通りかかった純喫茶で真っ黒なコーヒーとプリンを食し
合宿一日目を終えたのでした。

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