2019.06.08
三日前まで雨予報だったんですよね。この土日。
見事に雨マーク外れました。どうも東京本社のYです。
どんなに雨予報が出ていても、当日は絶対降らないのが、我らの合宿。
さっそくスタートです。
明智光秀と比叡山。何の関係が・・・?
と思われるかもしれませんが、坂本は明智光秀の居城「坂本城」があり、
光秀はこの地で善政を敷き、民からも良く慕われていたといいます。
その坂本からほど近いところにあるのが、比叡山三塔十六谷のうちの一つ、横川の飯室谷。
豊臣秀吉との戦いに敗れた光秀が密かに生き延び、比叡山の僧となり、
後に天海として徳川家康を支えたとする「光秀=天海」説にまつわる場所なのです。
ここには、生き延びた光秀が、本能寺の変の33年後に寄進したとされる「光秀灯篭」があります。
非公開のため見られませんが、それが無くとも「比叡山の三大魔所」と呼ばれる飯室谷。
雰囲気ありますよね・・・。
因みに、ここには現在「千日回峰行」を達成された阿闍梨が住んでいらっしゃいます。
なんかね、もう、この石垣の様に苔に覆われて、朽ち果てたい・・・とか思っちゃいましたよね。
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飯室谷から歩いて20分ほどの所に西教寺があります。
西教寺は明智光秀一族の菩提寺で、一族の墓があります。
この西教寺の総門は、坂本城の城門を移築してきた物ともいわれています。
私は訪れるのは2度目ですが、静かでいいお寺さんです。
来年は大河の影響でさぞかし賑わうことでしょう。
この唐門から外を覗くと美しい琵琶湖が眺められます。
光秀も同じ景色を見たのかなぁ・・・。
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続いて、琵琶湖畔へ移動して、坂本城址公園へ。
途中通りかかった踏切から、まっすぐに伸びる京阪電車の線路を。
いい景色です。
坂本城は琵琶湖の畔に建てられた城です。
同じように琵琶湖に接して建てられた安土城・長浜城と船で行き来していたそうです。
船で乗り付けて、湖から直接城には入れたとか。
実際、琵琶湖の淵をぐるっと回って移動するよりも、船で突っ切った方が早いですよね。
織田信長は、安土城から坂本城まで船で行き、山中越え(志賀越え)で京都に入ったと言われています。
坂本城の遺構はほとんど残されていません。あるとすれば琵琶湖の中ですかね。
琵琶湖大渇水の時に、水中にあった遺構が確認できたそうです。
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びわ湖浜大津駅から京阪京津線で京都へ。
この電車が面白いんです。
びわ湖浜大津駅を出てすぐは路面電車なんですが、そのうち山を登り始め、最終的には地下鉄になります。
路面電車・登山鉄道・地下鉄の3種を一度に味わえるおいしい電車です。
地下鉄を東山で降り、程近くにある青蓮院へ。
今度は、光秀死亡説をたどります。
山崎の合戦で敗走した光秀はその後、明智残党狩りに遭い殺害されたと言われています。
本能寺前に晒された光秀の首はその後、胴体とつなぎ合わされ、ここ青蓮院の門前に晒されたそうです。
さらにその後、光秀の首が埋められたとするのが、ここ粟田口の光秀の首塚です。
(しかし京都府内に光秀の首塚は3つくらいあるとか・・・。)
首から上にご利益があるということですので、私もお参りしてきました。
頭が良くなりますように。
本日はここがゴール。
お疲れさまでした。
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