2018.07.02
いきなり夏本番を迎えてしまいました。
全く準備が出来ておらず暑さにやられている、東京本社のYです。
6月最後の投稿にはなんと、N部長が・・・!
札幌事業所にN部長が来てるんだから、札幌メンバーは何か面白いこと書いてよ~
って思っていたんですが、まさかのご本人登場にビビっています。
帰ってきたら何か言われそう・・・。
そして、リファクトでは珍しいおしゃれ系(?)男子のSくん。
喫茶店巡りが趣味だそうで、これからも素敵な喫茶店をレポートしてくれることでしょう。
今回紹介してくれた『こころ』さん。
私が驚きを隠せないのは「二階席があったんですね」て事ですかね。
本社からの帰りに東大側の歩道を歩いて帰ることがよくあったんですが、
本郷通りを挟んで反対にある『こころ』さんの前を通ると
その時間帯にはとっくに閉店していて、明かりがついていないわけです。
2階の窓にはカーテンなど引かれていないのですが、
暗い窓の端に、外の街灯に照らされた女性の姿がぼんやりと浮かび上がっているんですよ・・・。
前を通る度に、怖いなぁ、2階は何のお店なんだろう、と思っていたんですが・・・、
まさか、2階席に置かれた彫像だったなんてね~!
俄然、興味が湧いてきたので、今度行ってみたいと思います。
さて、S君のレポートの中の「見返り坂」なんてキーワードにフックしたものですから
そこから少し話を広げてみたいと思います。
こちらは本郷通り。三丁目交差点から東大側(北)を見たところです。
中央あたりが凹んでいるのがわかりますでしょうか?
本郷通りは江戸時代以前からある道です。
太田道灌の時代、この凹みのあたりには通りを横切るように小川が流れており、橋がかかっていたそうです。
この川が道灌の治める領地の北の境界線になっており、罪人を追放する際はこの橋から放たれたのだとか。
その事から、この橋を「別れ橋」と呼び、
また、追放されるものを見送った事から、橋を挟んで手前の坂を「見送り坂」、
追放されるものは後ろを振り返りながら別れを惜しんだ事から奥の坂を「見返り坂」と呼ぶようになったそうです。
さらに、境界線つながりでもう一つ。
今回のタイトルは江戸時代に詠まれた川柳なんですが、その「かねやす」さんがこちらです。
江戸時代、度々大火に見舞われたため、
御府内は塗屋・土蔵造りを奨励し、藁葺きを禁じ瓦葺きを許したそうです。
その北限にこの「かねやす」があったことから生まれた川柳だそうですよ。
かねやすを境に南は土壁に瓦屋根の家屋が並び、北には板塀に藁葺きに家屋が並んでいたわけです。
ただ、江戸府内がどこまでか、というのはこの頃はっきりとは定められておらず、
この100年ほどのちの1818年に府内を表す朱引線が、王子や豊島あたりまで引かれています。
本郷って、境界線の街なんですね~。
境界線について話し出すと止まらなくなってしまうので、このシリーズはまた今度。
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